Dear diary

昭和、平成、令和、三時代を生きる自然楽人。

余命宣告。

すい臓がんですね、これから先は抗がん剤治療をスタートします。

余命は半年くらいです。

 

医者はマスクも取らず、目も合わせず、検査結果だけを見ながらさらりと吐いた。

 

病室には、父、母、私、兄の4人と医者と看護師。

春を前にして、まるでドラマのような激しい雨と雷が、僕たちが診察室に入る前に外の景色を打ち砕いていた。

僕はあの春、桜の色を覚えていない。その告知を受けてから二ヶ月くらいの間、目の前に広がる景色の色を失い、全てがグレーに見える症状に陥った。

 

7年も前の余命宣告。

余命宣告されたのは母親だった。

 

先に言っておくが、7年後の今、母親は元気で生きている。何事もなかったかのように。

 

まず結論から言うと、母親はすい臓がんのステージ4の末期。小さな病院で健康診断を受けた母親が、自分で数値の異変に気づいたのが始まりだった。その病院の医者は、なんともないですよと再検査に応じなかった。そしてある地元の大きな病院で再検査を受けて病気が判明した。その病院の医者が、余命宣告をした。

それでも諦めなかった兄が、神戸医大に専門の先生がいることをインターネットで探し出し、すぐに向かった。

 

「すい臓がんですが、切れますよ」

 

そして、7年ほど経過し、再発転移もなく、今も元気で生きている。

しかし、たくさんのラッキーもあったと思う。

信頼できる先生と出逢えたのも重要でした。

ちゃんと目を見て、丁寧にわかりやすく家族にも説明をしてくれ、18時間にも及ぶ手術の果てに生還した。

お父様をがんで亡くしたことがきっかけで医者になった、まるでこれまたドラマのような先生。

 

その病院では専門の医者がいないから、その病院でできることは抗がん剤治療しかない場合、医者によっては、最初に書いたような判断をする者がいる。と聞いた。

 

セカンドオピニオンはほんとうに大切だ。

安心して任せられる、信頼できる先生と会うまで諦めないことも大切だ。

 

母親は、去年、ステージ4のすい臓がんから生還し、再発転移のないめずらしい症例として、新聞に載った。

 

僕はどちらかと言うと、すぐ諦め、無難な道を選択して生きてきた。

命のことについて真面目に考えたりもせず、親はいつまでも元気なものだと思っていた。

 

ベターよりベストを追及し、周りの人には感謝するよう心がけるようになった。

 

時には、忘れてしまうこともありますが(笑)